アキヒロの日誌

新社会人一年目の記録

大学院で適応障害になりました。適応障害になった5つの原因と7つの学びをご紹介します。

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Free-PhotosによるPixabayからの画像

 

 

 私は、2018年4月に都内の国立理系大学院に入学しました。それから2ヶ月経過した頃に学校常駐の精神科医から「適応障害」という診断を受けました。それから大学院を半年間休学(2018年10月~2019年3月)し、2019年4月に復学しました。

 適応障害になってから、初めて自分自身と真剣に向き合うようになり、苦しくも充実した1年間(現在2019年6月)でした。今回は適応障害という病気にかかった原因と、病気から学んだことを、シェアさせていただきます。恐縮ですが、同じように大学院の研究生活に苦しんでいる方、もしくは社会に出て適応障害になられた方などの手助けが出来れば幸いです。


 

 

簡単な自己紹介記事です。

programerchance.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

適応障害になった5つの原因

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John HainによるPixabayからの画像

 

 

 

自分に自信がなかった

 私は高校時代からずーっと何に対しても自信が付かず、しかしそれでは社会で生きていけないと思い肩肘を張って生きてきました(中学までは成績が良く、自信に満ち溢れていました。)。そんな生き方がコンプレックスで、色々な挑戦を自信が無いことを理由に諦めていました。本来自信というものは、挑戦して経験から学び初めて自信がつくものですが、当時の私は自信がついてから挑戦しようとしていました(お恥ずかしい話になりますが、当時の私は、生きていれば自信なんてついてくるだろうと考えていました)。その大事な点を見逃していたのです。思考回路が真逆でした。まさに愚の骨頂です。

 自信がつかない原因の1つとして、自分を褒める能力が圧倒的に欠けていたことが挙げられると思います。小さな成功体験だけでは満足することが出来ず、極端なことを言うとノーベル賞数学オリンピック等で受賞しないと自分の人生に意味がない、自信なんて持てないとまで考えていたほどです。

 自分がそうなりたいという姿と、現状の姿の乖離が激しくて、どれだけ努力しても自信の持てない日々でした。今でこそ、自信について客観視してブログ記事に出来ていますが、当時の私は精一杯目の前の勉強などに全力投球しているつもりでしたが、何も積み上がっていかない感覚を持ちながら高校生、大学生を過ごしていたように思います。

 

programerchance.hatenablog.jp

 

 

 

周りが優秀に見えた

 私は、マーチ以上早慶以下の都内の私大から都内国立大学院に進学しました。ある程度は、大学院という厳しい環境、国立大学の学生の優秀さは予想しておりましたが、いざ入学してみると彼らの意識の高さや優秀さ、もくもくと努力ししっかりとした自分の考えを持っている姿に、脱帽しました。いかに自分が低レベルであったかということ身をもって知ることになるのです。そこで私は、ここ(国立大学院)で生きていくためには、自分のペースを守るよりも、彼らのような生き方・考え方をしなくてはならないのだと、これまた思考を停止させたような極端過ぎる思考になり、彼らを崇拝し無理に自分を変えようとしていました。

 

 

 

修士一年生の忙しさに耐えられなかった

 どの理系大学院でも同様な傾向にあると思いますが、修士一年生はやるべきことが沢山あり、大変忙しいです。研究室のルールやしきたりに慣れることから始まり、研究テーマを決め、研究活動が本格的にスタートし、同時に週一の研究室の輪講を受け、進捗報告を研究室メンバーの前で行い、単位を取るために授業に出席するなど様々なタスクが存在します。私の場合は、全てのタスクを全力投球でこなしてやる」という姿勢で臨み、全力投球出来ない現実に耐えられませんでした。自分の完璧主義の性格のせいで現実と理想のギャップを受け止めることが出来ませんでした。完璧主義という性格は精神疾患に陥る原因としては非常に有名であることを病気になってから知りました。

 

 

 

研究活動における「過程」を楽しむことが出来なかった

 そんなこんなで研究生活に慣れてきたと思われた矢先にふと感じたことがあります。それは、研究そのものを楽しんでやれていないということでした。まだ研究が始まったばかりということもあったのですが、中々先が見えない不安と今の現状に満足できていない感覚を覚え、研究に集中することが出来ず、いつの間にか研究を義務的な作業と捉えるようになっていました。今思うと時期尚早な思考でだったと思いますが、この頃から自分は研究に適性が無いのではと思うようになりました。

 

 

 

他人の目を気にしすぎる性格だった

 大学院に入学した理由は他のブログ記事でも書きましたが、将来は自動車メーカーで自動車開発に従事したいという欲望を満たすためでした。日本の(特にトップの)自動車メーカーは、エンジニアとして、機械、電気、情報などの学問に大学院まで向き合い、専門的知識を有した学生を取ろうと傾向があります。私の場合、大学では物理学を専攻していたのですが、物理は応用は利くものの自動車メーカーが研究開発職としては採用しづらいと言われていました。この学科にいても自分の夢を叶えられないと思った矢先に出した結論は、大学院の機械工学科への転部でした。それからの行動は非常に積極的で素早いもので、大学院入試に向けて、やったことのない4力学(機械力学、材料力学、流体力学、熱力学)と苦手だった(大学)数学、そしてこれまた苦手だったToeic受験に全力を注ぎ、何とか大学院に合格までこぎ着けました。

 満を持して大学院に入学したものの現実は甘くありませんでした。やはり4年間工学部で意識の高い仲間と学問に向き合ってきた内部進学者(かなり誇張した表現になっていますが、少なくとも私と同じ研究室のメンバーはこの表現どおりの方々です)と、他校でかつ他分野から入学してきた自分には、知識、経験、意識の差、努力値、自信などに雲泥の差がありました。当時のこの衝撃は凄まじいものでして、自分は全てにおいて内部進学者よりも劣っていると考えるようになりました。大学院に入学して初めて、自分は他人と比較して自分のことを評価する性格なんだと知りました

 しかし言い訳となってしまいますが、他人と比較してしまう性格は、至極当然のような気もするのです。小学生、中学生、高校生では多くの友人が互いにテストの点数や受験の合否で競い合い、そのような客観的評価が自分のアイデンティティを確立していました。大学では競い合うことは少なくなったものの、大学過程を経るのに精一杯だった私は、小中高校生で培った考え方のまま、そして、本当の挫折を知らないで大学時期を過ごしてしまうのでした。

 

 

 

 以上が、自己分析の結果として私が大学院で適応障害になった原因となります。診断後、適応障害抑うつ気分の原因をWebで調べていましたら、自分が病気になりやすい思考パターンをすべて持ち合わせていることを知り、愕然とするとともになんだか納得してしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 続きまして、適応障害を抱えながら生きていく上で、意識していることをまとめていきます。私は適応障害と診断されてから約一年間、精神科医や心理カウンセラーと何度も話し合いを重ね、そして親や旧友や大学時代の友人とも相談してきました。初めて自分と向き合い心のケアをし続けてきました。そこで得た多くの知見をご紹介いたします。

 

適応障害になってから意識していることや学んだこと

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skeezeによるPixabayからの画像

これから紹介する事を顕在意識ではなく潜在意識にはめ込むことができたら、病気の再発防止になるのではないかと思います。私自身、潜在意識にはめ込めむことが出来た項目と顕在意識に留まっている項目がありますが、ご参考になりましたら幸いです。

 

 

 

完璧主義をやめる

何でもなりふり構わず120%の力を出そうとしない

優先順位を決めて取り組み1位のものだけに注力し、それ以外はまぁいいかの精神をもつと良いでしょう。多くのことに手を出しすぎてはいけません。 余裕が出てきたら、少しずつやりたい事からやってみましょう。

なんでも一位を目指そうとしない

どの世界に行っても自分よりスキルが上の人間は必ずいます。自分が精一杯やっていればいいのだと考え、自分のペースを守り自分を見失わないためにも、自分よりスキルが上の人間になんとしても勝とうというマインドは排除すべきだと思います。他人基準で考えるのではなく、自分を基準に据えましょう。

考えすぎない
  • 考えても変わらないような事は考え過ぎないようにしましょう

  考えても変わらない事とは、

  ・将来起こるかもしれない自分にとって不利な状況

  ・過去に起こしてしまった失敗や引きずっているトラウマ

  などです。

  • 「今」を生きましょう

  未来への「配慮」はしてもいいですが、

  過度な「心配」はしないことを心がけましょう。

  • 失敗してもいいから何でもやってみましょう(まず行動してみることです)

 

過去の記事になります。

programerchance.hatenablog.jp

 

「全てに対して成功しないといけない」という強迫観念は捨てる
  • 失敗を恐れないことです(失敗は悪いことではありません)
  • 失敗から学ぶことの方が多いし、記憶に残りやすく、その経験をバネにしましょう
  • 肩肘を張って無理に成功させようとしないようにしましょう。

 

失敗を恐れないといってもそれは本能なので難しいと思います。そこで最後に、

  • 物事は基本的に、「8割失敗して2割成功する」くらいの感覚を持ちましょう。

この思考を持っていれば、物事が上手く進展しない場面に出会ったとしても、過度に自分を責めて落ち込んだりする機会を少なくすることが出来るのではないでしょうか。

 

自然体になってみる
  • 何でもかんでも計算しようとしないようにしましょう。

直感を信じることも大切です。

  • 理性と本能のバランスを大切にし、どちらかに偏らないようにしましょう。

理性ばかり、或いは本能ばかりに行動しているな、思考しているなと感じたら、バランスを意識してみることをオススメします。

  • 猫みたいに自然体になってみましょう。

猫などのゆっくり動く動物は個人的にリラックス効果があるように感じます。

  • だらしない部分も持っておく(「まあいいか」という言葉を口に出してみる)
  • 自分の疲労や精神のピークを知り、やりすぎないようにしましょう。

 

 

 

他人の目を気にしない、他人と比較しない

  • 他人の良いところだけを取り入れましょう

言い方は悪いですが、他人を上手に利用しましょう。そして他人のスキルや思考を取り入れるかどうかは自分次第です。

  • 自分のライバルは、常に過去の自分であると認識しましょう。
  • 自分のペースを知りましょう。そしてそれを第一に守りましょう。

 

 

 

ありのままの自分を受け入れる

  • うまくいかないときもあることを認めましょう。
  • 適応障害になったことを恥ずかしいとかんがえないようにしましょう。

時間はかかるかもしれませんが、病気になったことは何かしら自分の人生において 意味のある出来事なのだと捉えるとよいです。

 

 

 

 

少しでも自信をつけるように努力する

自分を褒める
  • やったこと、出来たこと、進歩したことを記録しましょう

 記録したものを見て「自分はこれだけ進めたんだ」と言い聞かせましょう。

 Twitterでは主に精神疾患を患っている方々を対象に、

#みんなdeポジティブ人間化

#今日の良かったこと3つ

というハッシュタグを付けて、その日にあった良かったこと、ポジティブな出来事などをつぶやくコミュニティがあります。是非参加してみてください。

一応、私のツイートを一部ご紹介します。

  • 自分に定期的に褒美を与えましょう

頑張った日には、自分が好きなことやリラックス出来ることを定期的に行いましょう。

疲労やストレスで自分が潰れないためにも、私も含めて休むことが苦手な人は意識して取り組みたいものです。

成功体験を積む
  • 小さな目標を立て、小さな成功体験を積むことに注力しましょう。
  • 減点法ではなく加点法の思考を意識しましょう。

 

 

 

自分の人生に責任を持つ

  • やらない理由を考える(言い訳)のではなく、どうしたら解決できるかを考えましょう。
  • 今ある自分に嫌気が差しても、他人や環境のせいにしないようにしましょう(→思考が停止している証拠です。)

 

 

 

前向きに考える

  • 人や物事の良いところを探すようにする(悪いところばかりを探そうとしない)
  • 「なんとかなるだろう」と自分に言い聞かせる
  • 物事が好調でも過度に思い上がらないこと(調子に乗る癖がある人は注意する)

 

 

 

プライド(過去の成功体験などから発生するもの)を捨てる

  • 他人の目を気にするあまり、自分を良く見せようというプライドは要らない
  • 肩書を意識しすぎない
  • 自分は何でも万能だと思わない
  • 自分がどう思われようが気にしない
  • シンプルに考える
  • 不器用なりに前に進む
  • 周りと自分を比較しない
  • 恥を捨てる

 

 

 

 

 

 

 

最後に重要な助言

上述した適応障害の経験から学んだことや意識していること項目を”完璧”にやろうとしない!!!

 ということです。

私なりに人生を生きやすくするにはどうすればいいか模索した思考法をいくつかご紹介させて頂きましたが、程々に実行してみましょう。私も含めて、特に完璧主義者の方は、改善しようと考えたことを、”また”、「完璧にやろう」と考えがちです。これは本末転倒で、最悪また振り出しに戻ってしまう(再発)可能性もあると考えております。ご注意ください。

 

 

 

 

 

適応障害になってから参考にしている書籍をご紹介!!

主に自己啓発本となります。

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

学びを結果に変えるアウトプット大全 (Sanctuary books)

 

著者は精神科医の方で、アウトプットすることがどれだけ重要なことかを示した本となります。内容は、勉強や日々の生活の中で実践できる様々なアウトプット法が紹介さてれています。アウトプットの重要性を23歳にもなって初めて気がつかされた非常に印象に残っている一冊です。

 

チーズはどこへ消えた?

チーズはどこへ消えた?

  • 作者: スペンサージョンソン,Spencer Johnson,門田美鈴
  • 出版社/メーカー: 扶桑社
  • 発売日: 2000/11/27
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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『迷路の外には何がある?』 ――『チーズはどこへ消えた?』その後の物語

『迷路の外には何がある?』 ――『チーズはどこへ消えた?』その後の物語

 

常に変わり続ける現代社会を生き抜く上で参考になる言葉が散りばめられていました。強烈に覚えているのが、「もし恐怖が無ければ、何をするだろう?」*1です。心の奥底に眠る根源的な自分の欲求を引き出してくれる言葉でした。

 

道は開ける 文庫版

道は開ける 文庫版

 

自己啓発の名著です。 

 

世界のエリートがやっている 最高の休息法――「脳科学×瞑想」で集中力が高まる
 

「マインドフルネス呼吸法」に関して勉強させて頂きました。寝る前に実践しています。約1年続いています。

 

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

「他人の目を気にして活きる行為は自分にとっての幸せを獲得することから遠のく行為である」という事をこの本から学びました。 

 

ハーバードの自分を知る技術 悩めるエリートたちの人生戦略ロードマップ

ハーバードの自分を知る技術 悩めるエリートたちの人生戦略ロードマップ

 

自分を知ること(自己分析)が、人生を生きる上でどれほど重要なことかを知るきっかけとなった本です。就活時や転職時、もしくは人生に迷われた時にも有用な本だと思います。 実戦形式の本のため、ドリルのような感覚で取り組みました。

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

 

 

なんで私が適応障害!?: 暗闇の中で光を見つけた私。

なんで私が適応障害!?: 暗闇の中で光を見つけた私。

 

新卒で入社した会社で適応障害を患った経験を持たれている筆者が、適応障害に対する向き合い方や、社会の精神病(又はその患者)への理解に対する問題提議をされているマンガ本です。心理カウンセラーによる適応障害の定義や治療法などが短い文章で解説されています。私も適応障害の当事者の一人ですが、非常にリアリティのあり共感できる部分が多いマンガ本でした。

 

 

 

 

 

 

 

参考までに、自己啓発本との向き合い方について書いております。よろしければご覧下さい。

programerchance.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

 

最後までお読み頂き有難うございました。

私と同じように、適応障害等の精神疾患を患った経験をお持ちの方や現在患われている方などに向けてこの記事を書かせて頂きました。

ご参考になりましたら幸いです。

*1:人間それぞれ様々な制約を持っており、誰しもが叶えたい夢を持ちそれに努力できるわけではありません。私の解釈では、この本がこの言葉を通して伝えたいことは、「今すぐには実現できそうになくても、心の何処かで自分が根源的・本質的に実現したいことを持ち、制約が取れてチャンスが巡ってきた時にそれに向けて努力することが重要である」と考えました。

自信を獲得するためにするべきことは???

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Gerd AltmannによるPixabayからの画像

 今回は「自信」について考えていこうと思います。私は何に対しても自信が持てませんでした。言い換えると、自信というものが何か分かりませんでした。その結果、「他人に馬鹿にされたらどうしよう」、「この先自分に不幸な出来事が起こったらどうしよう」などの他人の目や予期不安に苛まれる学生生活を送っていました。これでは何をしても楽しくないし、自分の努力が積み上がっていかないと感じ始めたので、今回は精神科医名越康文先生のとある記事を元に「自信」について考えてみました。

 

 

 

 

 

自分の経歴

 恐縮ですが、ここで私の簡単な学歴を紹介させて頂きます。

中学では公立中学に通っており、三年間で五教科はオール5の成績を取り卒業しました。高校は神奈川県内の公立トップ5に入る偏差値の学校を卒業し、留年で有名な都内の某私立大学物理学科をストレートで卒業しました。就活か進学か模索していた大学三年生の頃、自動車メーカーで自動車開発がしたいという漠然とした夢を抱き、それを叶えるため、分野をわざわざ物理学から機械工学に変更し、1から機械工学の科目(熱力学、流体力学、材料力学、機械力学など)を独学して、何とか大学院入試に合格しました。(自分の成し遂げてきた功績を披露しようなどという下心は一切ございません。)

 

 しかし、自分の中で積み上がっていかないものが明確にありました。それは「自信」です。自分なりに努力して、中学、高校、大学、大学院試験などの過程を通り、毎回ベストとはいかないものの、全力で一つ一つのことに向き合ってきました。しかしいつまで経っても「自信」だけは付けることが出来ず、学力コンプレックスのようなものを抱え込むようになり、もがき苦しんでいました。

 自分なりに自信が付かない原因を分析してみたところ、ある「きっかけ」にたどり着きました。それは「大学推薦入学」です。高校生だった当時、マーチ以上の理系私大に推薦入学できるほどの成績を持っていたため、「少しでも楽をしたい、そして浪人はしたくない」と思い、あまり迷わず推薦入学資格を頂きました。

 しかし入学早々、周りとの学力差に圧倒されることになるのです(周りの友人は、浪人を1~2年経験し、惜しくも東大に落ちてしまった方が多くいらっしゃいました。いまでも関係が続いており、大切な友人です。)。しかし当時は自分の実力の無さを受け入れること、受け止めることが出来ませんでした。何の価値もないプライドがのせいで、自分の実力の無さを認めるのが怖く、他人との実力差を必至で埋めようとしませんでした。その結果、大学の授業に追いつくのが精一杯で、サークルにも顔を出せず数ヶ月で辞めてしまい、友人と心から遊ぶこともあまり出来ず、しかし自分の実力の無さを認めようとせず、大学の授業に苦労するという負のスパイラルに陥っていきました。

当然ですが、「自信」は付かず、授業を受けても積み上がっていかない、空回りしている感覚を覚えていました。このようにずっと苦しい学生生活を送っていました。

 

 

プライドを捨ててGoogle検索

そろそろ限界を迎え、プライドは捨てて「自信をつける方法」とGoogle検索をしてみたところ、珍しく心にスッと入る感覚を覚えた、ある記事を見つけたので紹介したいと思います。

toyokeizai.net

 

簡単に要約してみます。

  • 自信を持てない人は「ありのままの自分を受け入れる」ことが大切である。この助言は、実際に自分に自信が持てない人には響かない。
  • 自信がある人は成功を引き寄せやすい。自信はただその人の内面の問題というより、仕事の成果や人生の成功を左右する、大きな要素になりうる。
  • 「自分に自信が持てない」と悩んでいる人は、自覚しているかどうかはともかく「自分はどの程度社会に適応できているのだろう?」ということに不安を覚えている人であろう。
  • 「社会に適応すること」は自信を持つための「必要条件」であり「十分条件」とはいえない。
  • イソップ童話「樫の木と葦」より、社会的地位を確立してきた人の中には、内側に脆い部分を抱えながら生きてきた「樫の木」タイプの人間である場合が多く、強風に煽られるとバキバキッと折れてしまい、立て直すことが難しくなる。
  • 著者が感じる「自信がある」とは、「明るくて余裕がある状態」。これは簡単なことではない。たとえ「明るく見せる」、「余裕を見せる」ことは出来ても、それだけでは「自信がある」ことにはならない。しかし、「明るい自分」、「余裕のある自分」でいることが大切なのだということがわかると、努力の方向性がはっきり見出しやすくなってくるとは言える。
  • 名越先生が自信を持てるようになった行動とは、「諦め」である。「自分はこうあるべきだ」というこだわりを捨てること。頑張ってなんとかなることと、なんともならないことの区別をつけること。「自信が持てない人」に共通するのは、「キラキラした自分」や「成功している自分」への期待と、そうなることができない現実とのギャップにある。自分に自信が持てない人は、いつもそのスパイラルのなかで苦しんでいる。
  • スパイラルから抜け出すための第一歩は、適度な「あきらめ」を身に着けて、自分のできる範囲に目標を定めることである。 

 

今の思い

 私は名越先生の仰る通り、キラキラした自分への期待とそうなることの出来ていない現実とのギャップが大きかったこと、そして自分の生き方や性格は、イソップ童話「樫の木と葦」の樫の木そのものであることに気が付きました。個人的には「諦め」という言葉は好きではありませんが、自信を少しでも付けるという意味で、全ての物事に対して全力投球するのではなく、物事に優先順位をつけて、小さな目標を立てて小さな成功体験を積んでいくことを意識したいと思います。その結果、いつか大きなことを成し遂げていて、自信も今よりは付くのではと、未来の自分に期待しております。

「選択する」ことの難しさについて

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waldryanoによるPixabayからの画像

  

今日このようなツイートをさせて頂きました。

 

 私が選択という必ず全ての人が大なり小なり通る作業に対して、最近感じている事を書かせて頂きます。

 人間って進路等の「選択」時に、少しでも後悔のない選択を求めるために、なるべく中立的な姿勢でメリットやデメリットを挙げて分析しようとするわけですが、殆どの場合においてどちらかにバイアスがかかった状態にあることが多いですよね。気づいているかどうかは人それぞれですが、実は既に答えが出ているなんてこともあるのではないでしょうか。

 

 毎日の様々な外的要因(他人の助言やメディア論争など)および内的要因(その日の気分やストレス度合いなど)のために、選択が長引いてしまうことが往々にしてあります。選択ミスやそれによる後悔を少しでも軽減したいという(多くの人が持つであろう)欲望がそうさせているのかなと思います。私の場合、毎日同じことを思考していていも、昨日と今日で思考の感覚が少し異なるのです。その時点においては、まだ思考の改善の余地が残されているという神様からのサインなのか、ただ自分が慎重になりすぎているということなのか分からないことが多いです。

 

今の自分の状態を記事にしています。

programerchance.hatenablog.jp

 

 

 私の悪い癖(短所)として、物事の選択時に「考え過ぎてしまう」ということが挙げられます。それは物事の重要度や緊急度に依りますが、良く言えば慎重悪く言えば優柔不断です。完璧主義なところもあり、物事の真理まで到達しようと試みることもあるほどです。大学時代に物理を勉強していたことの弊害でしょうか(笑)???

 

 思考の最深部まで到達すれば、その人自身にとって最適な答えがきっと見つかるでしょうが、それは不可能なことです。考えているうちに死を迎えます。深く思考して選択するということは、時として最適な選択に導いてくれますが、時として機会損失に繋がります。

 選択作業において、その物事の重要度と緊急度をしっかり把握するべきですね。

 

 

今の自分に出来ることは、

そんな自分を受け入れて前進するだけ

と胸に誓いました。

 

 

進路選択においてこの本を参考にしています。

ハーバードの自分を知る技術 悩めるエリートたちの人生戦略ロードマップ

ハーバードの自分を知る技術 悩めるエリートたちの人生戦略ロードマップ

 

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございます。今回はこれで以上になります。

ご参考になりましたら幸いです。

「生きる」とは?

現在、進路について猛烈に悩んでいる。

どの道を選択することが正解または適切なのか分からない。

 

programerchance.hatenablog.jp

 

programerchance.hatenablog.jp

 

大学院に残って研究に没頭する時間を過ごすのか。

大学院を辞めて他の業種を目指すのか。

おそらく正解は無いだろう。

多くの人にアドバイスを頂いているが、他人の行動が全て自分の行動にフィットすることはないことは覚えておこう。何十通りも生き方はあるということだ。

人それぞれ個性がある。何十億人という生物の中にはとてつもないほど複雑に絡み合った精神があり、生き方がある。

他人の意見を聞くことは大事だが、決して他人は自分の責任を取ってくれない。

自分の道は自分で決めるしかない。

 

 

最近は進路について悩みすぎて眠れない日々を過ごしている。睡眠不足だと、どんどんネガティブな感情に支配されていく。おまけにやる気が出ないし、集中力は起きないし、本が読めない。出来ることとはバラエティ番組を観て笑うことくらいだ。研究室へは行かず、バイトもせず、ほとんどニートのような暮らしをしている。これではダメだと思いながらも身体を動かすことが出来ない。そんな自分を責めてはネガティブな感情を持つようになり、更にそんな自分を責めて、よりネガティブになる。まさに悪循環に陥っている。あまり良い状態とは決して言えない。

ついには、「自分はなぜ生きているのか?」、「人生とは何か?」という哲学的な思想を抱いてしまう。もうここまで来ると後戻りが出来なくなる。気がついたら5日ほどこの事に悩んでいた。

 

 

だが今朝ふと朝食の食パンを食べているときに気がついたことがあった。

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ヌテラと食パン (cookpad)

自分はパンが好きで、特にパンにヌテラを塗って食べるのが大好きだ。理由は単純で美味しいから。ここでふと人生とは、もしくは生きるとはこういうことなのかなと思った。人間には「美味しい」、「楽しい」、「きれい」、「美しい」、「感動する」、「苦しい」、「辛い」など、多くの正と負の感情を持っている。今朝自分は、その一つ一つの感情は人間だけが持つことが許された「人間らしさ」なのではないか、ということに気がついた。うまく言葉で表現できないが人間として生きるとは、こういうことなのではないかと思っている。

生きていれば悩むこともあるし死にたくなることだってある。いっそう死んだほうが楽になるのではないかとも思うこともあるだろう。それは誰しもが経験することではないだろうか。でも生きてれば「楽しい」と思えることも一つくらいは必ずある。「友達と旅行」、「恋人とデート」、「新婚生活」、「年に数回のボーナス」など、本来人生には挙げればキリがないほど楽しいことに溢れているはずなのだ。これは確かに幸せなことだが、当たり前になり過ぎていて、そこに対して感情が湧かなくなってしまっていたのではないかと思う。日本という世界でも稀にみる平和な国に住んでいるからこそ、こういう当たり前の日常に気が付けなかったのかもしれない。

 

最後まで上手くまとまらなかったが、

これからは今まで以上に「楽しかったこと、嬉しかったこと」を意識的に思い出し、生きることを楽しみたいと思う。

 

 

もやもやが止まらない日々。今後どのようにして生きていこうか模索中。

前回のブログ:

programerchance.hatenablog.jp

 

このブログの続きを話したい。

 

 

大学院継続or次なるステップ

今現在目指している職業は、「自動車エンジニア」か「プログラマー」だ。

大学院に入学した目的は、自動車開発に携わることを目標に持ったからだ。

しかし今とても心が揺れている。

目の前の研究に集中できない。

隣の芝生がとても青く見えてしまう。

それは特に、プログラミングの職業(例えばWeb開発など)に憧れを持っているからだ。

プログラミングには大学院入学前から興味があった。あまり目的も考えずにPythonを勉強してみたり、休学中(適応障害で半年大学院を休学していた)に復学後の研究に用いいるc言語を勉強してみたりと、基礎レベルだが何回かプログラミングに触れてきた。

 

 

自動車エンジニア

自動車業界に入ったら、自動車エンジニアとして色々なスキルを学び、ゆくゆくはモータースポーツの開発に携わりたいと思っている。目指すところは「F1」だ。なぜF1を目指したいのかというと、「究極を求めるところ」にある。F1は世界最先端・最高技術のノウハウをふんだんに詰め込んだ究極のマシンと言えるだろう。モータースポーツが元々好きで、市販車を開発するよりもF1を開発したいという気持ちが今の所強い。万人には理解されないかもしれないが、究極の人たちが知識を結集させて究極の一つのマシンを作り上げるところに、夢を感じる。

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Mercedes-AMG F1 team
 プログラマー

一方、プログラミング職に対しては、自分が最近

・手に職をつけたい

・世界共通の技術を習得したい

・働き方が柔軟な業界に憧れている

といった欲望を持ったため、興味を持っている。特に「働き方が柔軟な業界に憧れている」という点は自分の中で大きく、適応障害になったことで、この点に対する欲望はより強くなった。フリーランスという働き方はメリット・デメリットそれぞれあるものの、精神的な疾患を抱えている自分にとってはどうしても魅力的な就労形態に見えてしまう。

ちなみに精神的に障害を患ったことは、研究室や大学院には全く問題は無い。自分の性格が原因となった。外部に原因があるならば、それを変えるまでの話(一概に言えないが)だが、自分の性格を変えるのは中々難しい。努力はしているが、やはり強烈なネガティブ思考は治らない(少しでもうつ病を再発しないようなマインドの獲得に励んではいる)。だから少しでも自分が働きやすい環境を求める(探していく、作っていく)のも悪くないのではないかと思っている。つまり、自分の性格を変えるのと同時に自分にフィットした環境で働くことを検討すると良いのではないだろうか?

一般的にプログラマーなどはブラックのイメージが付き物だ。ブラックになる確率は他の職種に比べて高いかもしれない。ただそれは個人個人の捉えた方次第なのかなと感じている。完全に実力主義の世界だから、(現実的な話は置いといて)シンプルに考えれば技術力さえあればブラックな働き方をしなくて済むはずだ。

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computer programming

 

自分の気持ち

確信を持って言えること

どちらの道を進むにせよ、大変険しい道が待っている。

楽しいと感じることもあれば、辛くて辞めたいと思うことも何度も訪れるだろう。

近道を見つけ人生の目標に到達することは絶対に出来ない。

遠回りしてこそ、歩んだ道筋や達成した目標に重みが生まれる。

楽しいことも辛いことも、がむしゃらになってやらないといけない時間は必要だ。

人生とはそのように歩んでいくものだと思う。

 

正直な心情

厄介なのは、それに立ち向かう勇気と自信が無い。

失敗が怖い。

ただそれだけ。

 

 

 

本記事まとめ

・大学院を入学した目的は自動車業界で研究開発をすること。ゆくゆくはF1エンジニアになりたい。

・しかし今惹かれているのは、プログラミング職。

・現時点(2019/5/12)では、「大学院での研究を続けて将来F1エンジニアになりたい」と「プログラミング職に就いて技術を身に着け自由な働き方を手に入れたい」の割合は4:6といったところだろう。

プログラマーなどになると決めたら、大学院を辞めて、プログラミングやその周辺知識を勉強し、就職を目指す道を歩むべきではないかと感じている。

・しかし、プログラマーになって明確にやりたいことは今の所無い。

・同時に、転部して独学で勉強(大学院院試)してまで入学した機械工学科を退学したら何か悔いが残るのではないかとも感じる。

・しかし、今の研究テーマ及び広義にサイエンスに対して関心が無いように感じているため、正直大学院で研究し続けることが辛いと感じている。

 

人生模索中、、、、

 

 

適応障害になってから大学院に復学して思うこと。

復学してからの出来事

自分は今年の四月から大学院に復学した。去年の5月末に適応障害抑うつ気分、不安・緊張、意欲低下などの症状が見られた)になり、半年休学した。結果的に約10ヶ月間休んだためブランクをものすごく感じている。

 

4月は三週目までなんとか研究室に通ったが、4週目に疲労が蓄積(ガス欠)になりそのままGWに突入した。GWは、ずっと自分の将来のことや研究のこと、今自分は「今やりたい事」が出来ているのだろうか?など色々なことを考えた10日間だった。

 GWが明け研究室に復帰しようとしたが、精神的に中々起き上がれずまだ復帰できていない。

今の思い

大学では物理学を専攻し大学院では機械工学を専攻している自分。しかし最近「自分は果たして理系なのか?」という根本的な疑問が湧いてきた。
高校ではどちらかというと理系寄りで、宇宙(観測関連)に漠然とした興味があったため、大学では物理学を勉強した。

大学院では自動車の開発がしたいと思い機械工学(熱流体分野)を勉強している。しかし最近になって気がついたことが2つある。

  1. 消化不良感がずっとある→どうしても腑に落ちないことが多い。
  2. 楽しむ時間より苦しむ時間のほうが多い気がする

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大学に推薦入学したこともあり、大学受験の勉強(大量の知識のインプットとアウトプット作業)をしなかった。入学してから隣の大学生(一般入試で合格した学生)との差を感じてしまった。その結果、理系学生なのに理系科目に苦手意識とコンプレックスを持ってしまった。圧倒的に不足しているのが自信。だから理系を楽しむことが中々出来ない。勿論楽しいと思えた時期もあったが、「楽しもう」と自分に言い聞かせていた自分がいたように記憶している。

それは「理系」という学問の性質上の問題なのか、自分の理解力や適応力の不足が原因なのか分からない。理系の環境で育ったため、その辺りの意見を文系学生などに聞く機会がほとんど無かった。特別、文系に興味があるわけでもないが自分が完全なる理系人間とも思えなくなってしまった。

 

この心情、誰か共感してくれる人はいないだろうか?

 

果たして自分は理系から逃げているだけなのだろうか?
それとも理系の深部に到達していないから生じる気持ちなのだろうか?
はたまたそもそも理系に適正が無いのだろうか?
理系大学院生(研究者の卵)が共通して持つ心情なのだろうか?

色々な感情が湧いてくる。

 

それからやりたい事と自分の適性に乖離が生じている気もする。今なりたいのはF1エンジニアだが、上記のように理系を楽しめていないから、なれる気がしないし自信がない。F1エンジニアという特殊な職業に就くにはそれなりの人生に対する覚悟が必要になると思う。

F1エンジニアは全世界の優秀な人達から成る専門家集団。人一倍F1に対して好奇心を持ち、それを楽しみ、人生を謳歌している。そんなイメージ。競争の激しいタフな環境に適応する必要がある職業であることは間違いない。

 

自分の性格、適性、好きな事など色々なことを総合して考える必要がある。

 

 

 

一つの人生の分岐点を迎えている。

 

 

今を生きることの重要性

昨日、次のようなツイートをしました。

 

久々に今の自分にとって必要な素晴らしい考えが浮かんだなと思い、ブログでも記事にしています。

 

今まで僕は過去のことを思い出しては、自分のやってきたことを認めてあげず、後悔ばかりしていました。「もっとああやっておけばよかったのにな~。」、「なんでこうしなかったんだろう。」というような考えがいつも頭の中に浮かんでいました。当然、今の自分にも自信が持てませんでした。その結果、常に自分の将来のことを心配しています。心配すると今やっていることに対しても集中できず、今やっていることの成果が思うように出ず、更に将来を心配して自信を失っていきました。

そうして自分は病気になってしまい、今年の10月から大学院を休学することになりました。そして今に至ります。

そこで僕は自問自答を繰り返し、二度とこのような経験(今までの自分の考えや病気に苦しんだ経験)を繰り返したくないと思い、ついに1つの仮説に至りました。

それは、

「今を生きる」

を意識すればもっと楽に毎日を過ごせるのではないかということです。

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John HainによるPixabayからの画像

 

今を生きるとはどういうことなのか?

それは、今、目の前にあることに集中することだと思います。

 

ではどのようにしたら目の前のことに集中できるのか?それは、とりあえずやってみる、手を付けてみることだと思います。

(より適切な集中法を知りたい方は集中メソッド的な本を参考にしてください。)

 

そして次に大事なことは、今日やったことを記録し、「自分は今日こんなに頑張ったんだ。今日はこんなにイイことがあった。」と言い聞かせることだと思います。

その結果、いつか自分に自信がついてくると本気で信じています!

 

自信がついてくれば、将来のことを心配しすぎないし、過去のことも後悔しすぎることはないでしょう。

 

 

過去のことを後悔しても過ぎたことは決して変えられません。

将来のことを心配しすぎても心配したことはそれほど実際に起こりません(経験談)。

つまり「考えすぎたところで何も変わらないよ」ということです。

 

23歳になって初めてこの事に気が付きました(とりあえず学生のうちに気が付けてよかったです)。今まで深く考えてこなかったのです。

あとは実践です。

もう一度まとめますと、

今を生きること

そのためには、

  1. 目の前にあることに集中する
  2. とりあえずやってみる
  3. 今日やったことを記録し自画自賛する

今を生きることを意識して毎日を過ごしていければなと思います。

 

 

[2019/06/25追記]

Twitterでフォローさせていただいているほっしーさん(@HossyMentalHack)は次のようなツイートを残されております。