アキヒロの日誌

理系大学院生の戦闘記録

自分よりも学歴が高い人や頭の良い人に対して引け目を感じてしまうというコンプレックスを解消したい。

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OpenClipart-VectorsによるPixabayからの画像

 

 自分は頭の良い人や自分よりも学歴が高い人と話す時、昔からその人達から少しでもよく見られるように格好を付けてきました。それは大変な日々で少しだけ中学の時は勉強ができましたので高校は県内の進学校に入学しました。それから少し経ってから、自分よりも頭が切れる人や成績が上の人の前に立つと緊張して少しでも自分をよく見せようと必死になっている自分がいたのです。逆に自分よりも頭が回らない人や成績が下の人に対しては(今考えれば最低な対応をしていたと反省しておりますが)、横柄な態度で気持ちだけは仁王立ちしていたと記憶しています。

 大学に入学し交友関係も広がり、更に「自分よりもできる人間」を見るようになりました。明らかに自分よりも能力が上で到底敵いそうにないなという人に対してはそれほど意識はしなかったのですが、自分より少し能力が上で、しかし中々追いつかない人に対しては、「この人にどう思われているのだろう」ということを気にしながら話していました。

 それはいつしか自分のコンプレックスになっていました。自分の成長には自分よりも能力が上の人に教えを請うというのが1つの定石なのにも関わらず、正直に言うと、その人達から「バカ」だと思われたくなかったので、分かっているフリをしたり、自分の本心でない有名自己啓発本に出てくるような言葉で話してみたりと、自分を一生懸命に武装し守っていました。そればかりに精一杯になっていて、その行動がいかに意味の無いことで時間を無駄にしているかということに気がついたのは23歳になった最近です。本当に情けないと思っています。

 

 この記事ではどうしてそのような行動をするようになってしまったのか、そして今後どうすればいいのか自分なりに考えましたので、もし同じような考えや行動をしていてどうにかしたいと思っている方の助けになれましたら幸いです。

 

 

 

 

コンプレックスとなっている考え方とその起源

問題となっている症状:

「自分よりも高学歴の人、頭の良い人、偏差値が上の人、(同じ仕事や作業において)能力が上の人と話す時にいつもその人達が自分のことをどう思っているのかすごく気になり、自分を強く見せようとしてありのままの自分を表現できない。」

具体的には、

「その人達に見透かされている気がして、自分の欠点を指摘されるのが怖いと思っている」

なぜこうなったのか??

「小中高とそこそこ勉強ができたため、過去に身の回りの大人から自分の足りていない所をズバズバと指摘された経験が殆ど無く、他人からの指摘に対して素直になれない自分がいる。*1

その結果、

「出来ていなかったり足りていない自分を認めるのが正直怖い。」

 

 

考えられる対処法(これから実践したい)

  1. 他人の意見を「ありがたいもの」だと捉え直してみる。*2
  2. 自分の弱さを知り、認める。そして何もないところから1つずつ積み上げていって少しずつ成長していけばいいと開き直ってみる。*3
  3. 他人は自分が思っているほど自分のことを気にしたり、考えたりしていないということに気がつく。*4

 

 

 

参考になりましたら幸いです。

 

 

*1:能力が無いとず~っと思っていて自己肯定感が極端に低く、しかしバカにされたくないというプライドだけが何故か高い面倒くさい性格が形成されてしまいました。

*2:他人の意見をすべて受けれる必要は無く、ケース・バイ・ケースですが、一旦他人の意見を自分の中に入れてみて、時間が経ってから改めてそれが今の自分に本当に必要な意見なのか吟味してみるといいのかもしれません。初心者のうちでその分野や世界で自分よりも経験がある人の意見はとりあえず受け入れておくのが吉であるように感じます。

*3:最初から何でも完璧に使用と思わずゼロから数字を足していくイメージを持ちます。いつか0が1なり、1が10になり、10が100になるときが来ることを信じて突き進むだけです。それ以外のことは考えないようにしたいです。完璧主義ではなく「積み上げ主義」になりたいです。

*4:自分は特別他人の嫌な部分が目に入るタイプの人間なのであたかも他人も自分のことを物凄く意識していると幼い頃から考えていましたが、どうやら人は他人のことをそれほど意識していないようです。一部には、いちいち小言を挟んでくるような人もいらっしゃいますが、そういう人は大抵自分の状況が上手くいっていないか、もしくは一時的に感情的になっているだけだと考えるようにしています。別にその人が悪いという話ではなくそういう人も世の中にはいるんだと思っておいたほうがギャップを少なく出来るのではないかと思っています。

スティーブン・ホーキング博士の生き様を少しだけ知ることが出来ました。

 

博士と彼女のセオリー (字幕版)
 

 

1人の天才の生き様に魅せられた。私自身、宇宙や宗教論、そして愛について全く詳しくない。しかし彼の生き方を観た時に、自分はなんて日頃から小さなことで悩んでいるんだろうという感想を持った。そして言葉では表せないが、何か勇気を頂いた気がする。彼は重い病気を患い日々の不自由に耐えながら、宇宙の研究に一生を捧げた。彼の自分自身を信じて歩む姿は感動的だった。同時にこの映画はヒューマンドラマとしても素晴らしいものに仕上がっていると思う。人間の細かな心情の移り変わりが所々に散りばめられていた。自分だったらどうしただろうと考えさせられる映画だったように思う。

 

劇中のある講演会での彼のある言葉を引用してみる。

観客の質問:

「人生哲学は何ですか?」

ホーキング博士の回答:

「我々は1000奥の銀河のうちの一つの端で平均的な恒星の周りを回る小さな惑星上の霊長類の中の硬度な酒の一つでしかありません。しかし、文明の夜明け以来、人々はこの世の潜在的秩序について理解したがっています。宇宙の境界条件に関しては特別な何かがあるのでしょう。そして更に言えば境界など無いのです。人間の努力にも境界はありません。我々は皆違います。いかに不運な人生でも何かやれることはあり成功できるのです。命ある限り希望があります。

この言葉を聞いた瞬間に、自分が殻に閉じこもっていた事に気がついた。「もっと自信を持って前へ進んでごらん。幸せな未来がきっと待っているから。」と博士本人からそう言われたような感覚も覚えた。

 

スティーブン・ホーキング博士から勇気を貰った。そして、やはり「映画」から学ぶことは多く映画が持つ力は大きいと改めて感じた2時間だった。

 

 

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スティーブン・ホーキング博士(1980年代撮影)

(写真は、https://en.wikipedia.org/wiki/Stephen_Hawkingから引用しました。)

スティーブン・ホーキング博士は、2018年3月14日、イギリス東部・ケンブリッジの自宅で亡くなられました。76歳でした。ご冥福をお祈りします。

 

分からない状態と向き合うためには。

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ijmakiによるPixabayからの画像

 

 

 分からないこと(イメージ:黒色)が頭の中にあると分かっている事(イメージ:白色)を黒く染め頭の中があたかも全て分からない状態(白が黒で染まっていく状態)になると錯覚することがある。分からない事やそのような状態を注視し過ぎてしまう性格のためこのような現象が頻繁に起きる*1

 

 しかし学生である以上、分からない状態というものを沢山経験しておくこと、そして分からない状態にあってもそれを頭の中にストックしておくことは将来的に何かしらの意味のあることだと捉えると少し楽な気持ちになることもある。

 

 分からない事やその状態に耐えられなくなることもある。恐らくそれは、分からない状態を無意識のうちに否定しているからかもしれない。学生なのだからその状態が普通だろうと考えられるくらいの余裕が欲しい。理想を言えば、いつか分からない状態を楽しめるようになりたい。

 

*1:この状態に陥る時は意識的に分かることと分からないことを可視化しておくなどの工夫をして、自信をなるべく失わないようにしている

現役F1エンジニア「神野研一さん」の講演会に行ってきた話

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神野さんが所属しているRacing Point F1 Teamの2019年マシン

 

 8月10日の土曜日に神野研一さんの講演会に参加して来ました。イベントの詳細はLive Talk! port F Vol.2をご参照ください。そこで感じたことや考えたことをシェアさせていただきます

 

 登壇者

 今回は、自動車エンジニアとして現役F1エンジニアの神野研一さん(@KenichiKonoF1)と、ムーンクラフト株式会社で主に自動車の空力開発に携われている神瀬 太亮さん(@MC_Shinse)がご登壇され、また、モータースポーツの広報活動をされている杉山 愛奈さん(@nico__mana)がご登壇されました。

 

参加した目的

 この講演会に参加した動機が2つあります。1つ目は、レースを仕事にしている方々が普段何を考えて仕事に取り組んでいるのか、レース車両をどのように開発されているのかなど、趣味感覚でエンジニアの方の普段の心情と開発現場のお話が聞きたいという動機がありました。2つ目は、現在自分自身が理系の大学院を継続させようか中退しようか非常に悩んでおりまして、何かヒントが得られればなという気持ちがありました。2つ目に関しては、実は以前6月初旬くらいに神野さんとツイッターで直接お話をさせて頂いたことがありまして、是非このイベントで神野さんに直接その時のお礼がしたいと思っていました。ツイッターでは、「自動車エンジニアを目指す学生の中には、大学でのアカデミックな勉強や研究と実際自分がしたいと想像する理想的な仕事との間にギャップが存在し、それを過敏に感じ取ってしまい苦しむ学生が一定数いるというお話」をして頂いたり、「大学生として身につける力」などを教えて頂きました。 

 

気づきや感想
  • 現役F1エンジニアとして活躍されている方の生の話は非常に貴重なものでした。
  • 将来のF1について心配されていないか質問を受けた神野さんは、自身の将来のことやF1の未来のことはそれほど心配されていないようでした。
  • 様々なお話を聞いて感じたことは、神野さんは非常にポジティブに思慮深く物事を考える方という印象を受けました。
  • F1エンジニアになるためには、イギリスの大学に進学しそこで1年間どこかのF1チームでインターンシップを経験し、それからF1チームに就職することが一番確度の高いルートだそうです。それは文化的距離や心理的距離、物理的距離がF1の本場であるイギリスに近いほど、エンジニアとして働ける可能性が高くなるという意味だそうです。

 

 そして講演後に神野さんに数分だけ直接お話する時間を頂きました。理系大学生として自信を失い、大学院を辞めようか考えている自分に対して次のようなことをアドバイスして頂きました。

「自動車エンジニア以外にも働き方は色々あるから、今はこれと決めないでゆっくり色々な業種や職種を調べて知ることが大事ですよ。それから大事なことは人生を楽しむことだよ。」

このお言葉を頂いてから少し心が軽くなった気がしました。自分は基本的に、人生は苦しみの連続だと悲観的な考えて持っており、苦しみの中にあるはずの楽しさを見ようとする努力を怠ってことに気が付きました。そして最近は少し焦っていたことにも気が付きました。もう少し腰を据えて将来の進路、特に最初の就職先を考えていきたいですし、「理系人間たるものこの道に進まないといけないんだ」といった自分の可能性を狭めるような極端な考え方はしないよう意識したいと思いました。自分の認知の歪みのような極端な考え方は極力抑え、可能性を広げるためにも柔軟に物事を捉え考えたいと思いますし、まずは目の前のことから淡々と地道に励みたいと心に誓いました。

 

 半分趣味、半分キャリア相談として参加させて頂いた今回のportF様のイベントでしたが、専門的なことや開発現場のリアルなお話、F1の経済的なお話、そして何よりも神野さんに直接アドバイスを頂いたことは大変貴重な体験でした。

 

 

 portF様、神野さん、神瀬さん、杉山さん、そして関係各所の皆様。今回は大変勉強になるイベントを開催して頂き、ありがとうございました。

自分は「勉強適応障害」なのではないだろうかと考えている今日この頃

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WokandapixによるPixabayからの画像

 

自分は大学院に入学してから二ヶ月足らずで適応障害という診断を受け、半年間の休学をした。それから今年の四月から復学したものの、5月から精神的に体調がまた悪くなり、現在(8月初旬)まで大学院に在籍はしているものの研究室に行けていない。

 

programerchance.hatenablog.jp

 

どうしても研究室に行こうという気が起きない。

研究する気が起きない。

勉強する気が起きない。

勉強が面倒くさい。

勉強しなくても研究しなくても別に死にやしないし。

 

そんな事を考えているうちに実は自分は元々勉強なんて好きではなかったのではないかと思うようになった。中学生までは勉強すればテストで良い点数を取ることができ、親や周りの友達から称賛され、それが嬉しくてその感覚が癖になり勉強に励んでこれていた。しかし高校に進学してからは、県内のそこそこ有名な進学校に入学したこともあり、周りのレベルが上がるとともに自分を称賛してくれる人はいなくなった。

 

それからは周りが勉強しているから強制的に勉強する、周りが大学に行くから自分も大学に行くといったような感じで、周りに流される人生を送った。高校生になっても明確な自我*1は芽生えず、「心の底からは勉強なんてしたくない」という気持ちは確かにあったが、それを抑え込んでいた。大学に進学しても親に金を払わせて学生をしているという恵まれた環境・立場にあって、勉強が辛いから大学を辞めたいなんて甘えたことは口が裂けても言えず、「勉強したくない気持ちを持つことは間違っている」、「勉強すれば世界が広がる」と自分に言い聞かせ強制的に勉強していた*2。勉強したくないという素直な感情を抑えることで自分を保っていた。その感情を認めてしまった日には、自分が周りから置いていかれ誰にも相手にされず、寂しく死んでいくんだと考えていたほどだ。

 

余談だが特にサイエンス(物理化学や数学)を勉強する時に持ってしまう、ある感覚が自分にはある。それは「固く戸締まりがされた脳内の門を無理やりこじ開けて、脳の思考領域に勉強内容を押し込む」といった感覚を毎回持っているのだ。めちゃくちゃ踏ん張らないと自分にはサイエンスを考えることが出来ないし理解も出来ない。

 

 

高校から大学院に在籍している現在までの勉強の記憶は、基本的に「苦しい」、「しんどい」、「面倒くさい」という三つの言葉に集約されてしまっている。「楽しい」なんていう感情は合計して2秒くらいしか感じた事が無かった。

 

 

そんなふうに自分に負荷がかかりながらも、半ば強制的に勉強に励む日々を送っていたため、自分というものを本質的に理解していなかったし見失っていた。

  • 自分とは??
  • 何がしたいのか??
  • 勉強したくないという感情を押し殺し自分を理性で操作して勉強した先に何があるのか??

 

 

どんどん哲学的になってきた。でも避けては通れない事でもある。

 

 

もう正直勉強、特にサイエンスの勉強はあまりしたくないと思っている。鉛筆を持ちたくない。気分も悪くなる。

 

 

 

勉強はすればするだけ自分が見ることの出来る世界が当然広がるし、生きていく上でも必要不可欠な行為であることは理解しているつもり。本ブログでは「勉強適応障害」というありもしない名前の障害を作ってみたが、要は勉強そのものが自分には向いてないのではないかと思う。

その障害とやらの自分の特性を乗り越えて勉強を好きになること(せめて好きになれなくても努力出来るようになること)が正解なのか。

それともその障害を感じていることこそが自分のアイデンティティを表しているから勉強という行為をここで一旦止めることが正解なのか。

そもそも何をもって正解とするか。

 

 

 

 

もうよくわからない。

*1:何をもって自我という言葉の定義をするか、正直まだ良く分かっていませんが、少なくともこれがこれはやりたくないというような気持ちだけはありました。

*2:やりたいことが決まらないうちは強制的にも様々な勉強に励むことは悪いことではなかったなと思いますが、もう少し不真面目になって余裕を持って勉強だけはない生活をしても良かったのではないかと少しばかり後悔しています。

今まで勉強したいと思っていたことと、現在の自分の心理状態についてお話します。

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Alexas_FotosによるPixabayからの画像

 

 熱や流体について理学部のように基礎理論を学ぶというよりは工学部の立場でそれらの学問の実践的な使い方を学びたいと思い大学院に入学した。そのきっかけを作ってくらたのはF1だった。「ダウンフォース」という言葉や「エンジンオーバーヒート」という言葉が実況者から頻繁に聞こえてきた。なんとなく興味を持っていたが、大学の勉強がかなり忙しく*1、それをプライベートで学習する余裕が無かった。*2

 同時に一般の自動車にも興味を抱いていた。そして大学3年冬の頃に「今の理学部ではF1や自動車のことを作り手の視点から深く理解できない。今興味のあることは物理よりもより実践的な工学だ。ならば大学院入学を境に工学部に転身してみてはどうだろうか。チャレンジしてみよう。」という考えになりかなり悩みましたが、理学部物理学科から工学部機械工学科へ大学院入学を境に転部した。*3

 

 しかし最近は工学部の勉強が全く身に入らない。興味が無くなってきている。理系として恥ずかしい意見ではあるが、大学院やそれに伴う勉強に対する素直な感情を書いてみたい。

 

素直な感情

  • 分からないことが多すぎて嫌に勉強が嫌になっている
  • 学問を学術的に詳細に理解することが億劫になってきている
  • 数学という記述が耐えられない
  • 別に自分が研究しなくても誰かがやってくれるから良くないかと思ってしまう
  • 学習する意義が分からなくなってきている
  • 大学院で研究を継続していくことに覚悟が出来ない

これだけ書くと自分がいかに研究者や理系に向いていないか、どれだけ自分が年相応な考えに達していないか、自分がいかにネガティブな性格の持ち主なのかということが分かった。これらの項目をどのようにポジティブに捉えられるかが今後の勝負だと思っている。自分なりに上記のことについて一つずつ解釈をしてみる。

 

解釈

  • 分からないことが多すぎて嫌に勉強が嫌になっている
  • どこに行っても分からないことは存在する。だから分からない状態に陥り心が沈むことなどはむしろ正常だと考える。
  • 学問を学術的に詳細に理解することが億劫になってきている
  • 自分の限界値を感じるのに怖さを感じている。 今まで分かるか分からないかギリギリのところで常にもがいていた。 限界を決めていなかった。 その反動で限界より少し手前で引くようになった。 修士の研究という思考の深淵部まで到達し続けないといけないものに恐怖を感じている。 少し肩の力を抜いて完璧にやらないようにしてみよう。 何でもかんでも完璧にしようと思わないようにしよう。
    Done is better than perfect!!
  • 数学という記述が耐えられない
  • 自分が数学に苦手意識を持ちすぎているのかもしれない 数学の出来不出来は恐らく多少は生まれつきのものが関係しているように感じる 数学的な思考を持ち合わせていない子はそれ相応のことしか出来ない でもきっとそれ以外に得意としていることがきっと見つかるし、言い訳になりそうだが、数学人間だけでは世の中回らない。 そういう開き直りもまた大事なのかもしれない。
  • 別に自分が研究しなくても誰かがやってくれるから良くないかと思ってしまう
  • 自分のなぜ大学院という研究する場所に来たのか今一度考える必要がある。 なぜ卒業してすぐに就職しなかったのか。 なぜ研究がしたいと思ったのか。 今一度考えてみる。
  • 学習する意義が分からなくなってきている
  • 色々な考え方ができると思う。 学習する目的がハッキリしていないうちは中々ツライ。 自分が今とりあえず目の前のすべきことをしているのは何とも言えない感覚になる。 積み上がっていない感覚、何のために自分は作業をしているのかという感覚、なぜ学校に行っているのかという感覚、やる気が出ない感覚、虚しさ、前進していない感覚、時間を無駄にしている感覚、色々な感覚を覚える。 大学に行く意味という大きな枠組みで考え直してみる。 そうすると学習する意義や大学の意義というものは次のようなものだと気がつく。 自分の得意不得意や好き嫌いを見つけるために勉強をしていると考えられる。 自分が将来仕事にしたいと思える事を探す就活前の準備期間を頂いていると考えられる。 自己理解のため、精神鍛錬、人付き合いの仕方を学ぶ、処世術の獲得、人脈の構築など。 それから専門知識の獲得。 今は心からやりたいと思える事が無く、曖昧な気持ちになっている。 仕方ない。 でも前進しないと何も得られない。 やりたいことを見つけるために目の前の勉強をしようと思う。

*1:理学部物理学科でしたが、実験やレポートが頻繁にあり、テストではいかなる理由があろうと再試験や追試験が実施されないという他学科に比べて厳しい学科でした。

*2:今考えると時間を作って積極的に興味のある事の勉強をすればよかったと思っております。ただの言い訳です。流体力学については学部の授業でも理論的なことを学習していたのですが、全く理解できず、流体力学に対してネガティブな感情を抱いていました。

*3:院試に関しては物理学科と機械工学科で学ぶ内容に相違点が多数あり、物理や数学等の共通科目はあるものの、その上に存在する専門科目については異なりました。「私頑張ったんですよ」アピールではありませんが(そう捉えていただいても構いませんが、、、)、特に機械工学科で学ぶ4力学は学部時代に勉強したことが無かったので、院試勉強ではかなり苦労しました。余裕があれば「未経験から工学部機械工学科に入学する方法」というようなタイトルで、実体験を記事にしたいと考えております。

大学生活4年、院試、適応障害、復学。様々な事を経験したからこそ分かった学生という貴重な時間の過ごし方についてお話します。

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StockSnapによるPixabayからの画像

 

 学生という貴重な時間をどのように過ごすべきか。人それぞれ違うだろう。いずれ社会に出ていくため、何かしらの焦りのようなものもある。就労経験が無い以上は、学生のうちに何をするべきかよく分からず大学生活やその他の学生生活を過ごしてしまうこともあると思う。しかし、どの仕事が自分に向いているのか、自分が成長できそうか、自分が活躍できそうか、それはやってみないと分からない。学生の身分では予測できないような業界の仕組みや仕事の仕方などなど挙げればキリがない。

 学生という自由過ぎる時間をどう使おうが人それぞれだが、僕個人的には次のようなことをオススメしたいしこれからも実践していきたいと思っている。*1

  • 専門知識の獲得
  • 精神の鍛錬
  • 自己理解
  • 処世術
  • やりたいことをトコトンやる

専門知識の獲得については言うまでもなく学生が第一優先にすべきことだと思う。実際大学生の時は専門知識の獲得のことしか考えていなかった。学力に自信が他人よりも無いと考えていたせいもあって、サークルに入らず、バイトもそこそこにして、学問を第一優先にしていた。

 その状態で大学院に入学したのものの、入学して早々に適応障害と診断を受け、半年間の休学を経験した。自分には何が足りなかったのか自問自答する半年間だった。

 それから復学し、少しずつその何かが明確になってきた。それは精神の鍛錬自己理解処世術の3つであった。これらは特別に意識していないと身につかないものだと思う(自然と身につく人間もいるだろうが、少なくとも自分の場合はそうだった。)。

 精神の鍛錬と自己理解は似ていると思う。例えば次のようなことが挙げられる。

  • 今何を自分は思っているか。
  • 何が自分に不足しているか。
  • 今この感情は何に由来するものだろうか。
  • 自分は何が将来どんな事を仕事にしたいのか。

メンタル的なことは奥が深く、突き詰めれば突き詰めるほど根深く複雑で完全に理解することは不可能に等しいと思う。しかし自己理解で大事なことは、

  • 人生の主人公は自分であることを忘れないこと。
  • 自分に嘘を付かないこと。

この2つを意識していると、自己理解が深まり、自分に何が足りないのか客観的に知ることが出来て、そのためにはどのような精神の鍛錬が必要なのか方法を模索することが出来ると思う。

 処世術に関しては専門知識の獲得に励みながら自己を理解して精神の鍛錬に励むうちに、自分がその場面場面でどのように振る舞うことが適切なのか、学生ならば目の前の試験ではどれほどの点数が求められていてどれほどの労力を投下すればいいのかなど、学生の範囲内でもきっと社会に出ても役に立つ処世術を身につけるほどが出来ると思う。もし処世術が身についているか分からない時は、上述した自己理解に再度励むことをオススメしたい。

 

 

 

過去の記事ですが、私が適応障害になってから現在に至るまでをご紹介させていただいております。

programerchance.hatenablog.jp

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1: このようなことが自然と実践出来ている学生も多くいらっしゃいます。そのような人は十分優秀ですので過度な心配は必要ないと思います。私のような不器用な人間はこのように備忘録として書くことで自分自身を保っているわけです。どうぞご理解ください。